この世の双子が皆仲良しだとは思うなよ
へろう。久しぶり。Misakiだ。(訳:この記事以降は文体をだ「だ、である調」で統一する。またこの記事を含め、あくまで独断と偏見に塗れた個人的な意見であるため、不愉快に思われた方は何も見なかったことにしてそっと閉じるボタンを押されたし。)
先日、双子コーデという単語を久々に耳にした。(双子コーデとはそっくり同じ又は似たような格好をペアでする、というものだ。所謂お揃いである。詳しくは以下を参考されたし。)
何を隠そう筆者も双子の片割れであるのだが、双子コーデという単語を聞く度にモヤモヤするのだ。こちとら、生まれてから自分の金で服を買えるようになるまで、意図せずとも双子コーデであった。またお揃いかぁ、偶にはお揃いじゃないものも欲しい、そう思ったものだ。そんな自分からすれば、一体何故わざわざお揃いにしたがるのだろう、と疑問なのだ。
「双子=仲良し」の考えのもと、「仲良し」を演出、アピールしたいのだろうか。又は「私たち、とっても仲良し!」という認識を共有し、より強固なものにしたいのだろうか。
どちらにせよ、そもそも全ての双子が特別仲良し!なわけが無い。もちろん何をするのも、いつでもどこでも一緒、喧嘩なんて以ての外、という双子もいる。(高校で同級生だった双子はめちゃくちゃ仲良しだった。)しかし、所詮は他人。多少なりとも考え方、好みの違いはある。その辺は普通の兄弟、姉妹となんら変わりない。どうでもいいことで喧嘩し、次の瞬間には何事も無かったかのように変な話題で盛り上がる。
寧ろ、自分には双子だからといってニコイチ、2人揃って一括りにされてきたことに対してコンプレックスがある。あいつとは違う、自分を見て欲しい。そう何度思ったことか。違う部活に入り、文系、理系に別れた。周りの人にあまり大っぴらに話さないのもそれが原因かもしれない。
まとめると、双子コーデを見る度に、双子=仲良し=何でも一緒、という構図が勝手に連想され、これまた勝手にその構図を押し付けられている気分になるだけなのだ。かく言う自分も、双子コーデを素直に楽しめる方々が羨ましいだけなのかもしれない。結論、この筆者の考え方めんどくせぇ。
0コメント